「楽しみ探し」の大先輩
2017年02月01日 (水) | 編集 |
 私の健康のことで、多くの方々にご心配をおかけしました。まずは検査結果をお知らせします。2日間にわたり詳しい検査が行われ、今週の月曜日にその結果が知らされました。通知表渡しのようにドキドキしながら主治医の部屋に入りました。そこには、CTスキャンで撮影した私の心臓の様子が映し出されていました。血管のあちこちに白いものが写っています。「これは石灰化した部分です。年齢とともに多くなります。」特に大きな白い部分を指さしながら、「このために血管が狭められて流れが悪くなっています。でも、この血管は細いので、カテーテルなどを入れる治療はできません。太い血管ならできるんですが…」「では、石灰化した部分はどうすればいいんですか?」「どうしようもありません。今すぐにどうこうということはないでしょう」という結論でした。胸の痛みや、呼吸の苦しさを訴えると、「それは他に原因があるのでしょう。心臓の問題ではないようです。肺かもしれません。これからのことは、かかりつけのお医者さんと相談してください。」で、終了。
 「もしかすると入院して、治療か?」と覚悟していただけに、少しばかり拍子抜けの気分で病院を出ました。結論は年齢相応の状態だと受け入れて、少々の痛みとは付き合って行くしかないのだろうということです。

 今日から2月。ほんの先日、お正月を迎えたばかりという気分ですが、もう31日という日々が過ぎ去ったのです。飛び去るのは日々ではなく、自分自身なのだという実感です。

 11日に千葉県鴨川市で開催される「房総聖会」が迫ってきました。8日に南房総市に住んでいる兄の家を訪ねます。房総の野鳥たちを観察する予定でしたが、房総聖会での2回の講演が最優先ですので、自分の健康状態と相談しながら、無理をしないことにしました。野鳥観察と釣りの計画でしたが、今回は自重すべきでしょう。

 山本周五郎の世界にまだ浸っています。その著作も50冊ほど集めました。初期の著作には駄作が多く、読みながらイライラさせられるものがあります。それが次第に洗練されて大衆文学の域を出た香り高い内容に変えられて行くのが分かります。そうした成長の跡を辿りながら、果たして自分はと問われます。

 新たなマイ・ブームが起きています。幕末の時代に越前藩(福井)で活躍した歌人 橘曙覧(たちばなのあけみ)です。その「独楽吟52首」の魅力にはまっています。超一流の貧乏ぐらしの中で、日常生活の中に楽しみを見つけて喜ぶ様が実によく描かれている52首の和歌です。「百万人の福音」誌に「どうせなら楽しく」を連載中ですので、この歌人が「楽しみ探し」に五感をフルに動員して生きている姿に教えられ、魅かれます。
 1994年6月13日、訪米された天皇皇后両陛下の歓迎式典で、クリントン大統領が歓迎スピーチの最後に「独楽吟」の一首を引用したことで、急にスポットライトを浴びました。その歌がこれです。

 たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲けるを見る時

52首すべてが「たのしみは」で始まり、最後に「時」で閉じられています。もう一首。

たのしみは 常に見なれぬ鳥の来て 軒遠からぬ 樹に鳴きし時

この「常に見なれぬ鳥」に会うことを無上の喜び、楽しみにしていますので、この歌はよく分かります。鳥見にしばらく出ていないので、書斎の窓から眺めながら、珍しい鳥が来てくれないかなあと待ちわびています。
今朝も暗いうちから外を見つめていました。昨夜のうちに家内がまいたエサを、鳥たちが食べる写真を撮ろうと待ち構えていました。
東の空が明るくなってきました。屋根の上や電線にスズメたちが集まって、エサが見える時刻を待っています。




食べ始めました。どうも上の方から聞こえてくるガシャ、ガシャという音が気になります。「あの突き出している黒い筒がどうも怪しい!」とみんながにらみつけています。


「常に見なれた鳥」で今日は我慢です。


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